川内原発再稼働に反対する申入書

川内原発再稼働に反対する申入書 【提出版PDF】
2015年1月9日
経済産業大臣 宮澤洋一様
原子力行政を問い直す宗教者の会
 代表世話人 長田浩昭(真宗大谷派)
  岡山 巧(真宗大谷派)
  大河内秀人(浄土宗)
内藤新吾(日本福音ルーテル教会)
福島事故を経た今、倫理に反する川内原発の再稼働は、絶対に認めないでください!
 
   1993年に結成した、私たち「原子力行政を問い直す宗教者の会」は、それぞれ自らの宗教的信仰的課題として、国策としての原子力行政を久しく問うてきました。すなわち、それが全てのいのちを永続的に脅かすのみならず、その過程に於いて人々を欺き分断させ、棄民を必然的に生み出すものとして、警告を発し続けてきました。そして、やがて「総ヒバクの危機」を招くであろうことも訴えてきました。
 果たして、2011年の福島第一原発過酷事故に於いて、その「危機」は現実となりました。そしてその「危機」は今も進行中であり、さらに未来を脅かし続けようとしています。
 取り返しのつかない代償を今後も払い続けなければならないであろう事故を経て、これまでの原子力行政を改めるべきことは、今や明白なはずです。「原発ゼロ」を求める民意もまた多数を占め、行動に示されるに至っております。
 ところが、事故直後「原発ゼロ」に向かうかに見えた施策は政権再交代後、原発を「重要なベースロード電源」として「必要神話」を復活させた上で、原発再稼働路線に転換させられることになりました。そして原子力規制委員会の審査を経て、九州電力川内原発1、2号機は一気に拙速に再稼働に向けられています。さらには関西電力高浜3、4号機もそれに続き、準備が整えられようとしています。加えて、インドやトルコ等への原発輸出の攻勢もあからさまになってきています。いずれも現政権の唱える「経済戦略」と一体化させて、ヒバク労働も拡大させる道を選択することになりました。それらは、「危機」を糊塗するためにさらなる「危機」をもって固めるかのような迷妄暴走する姿そのものです。
 「私たちは侮辱の中に生きている」という言葉が運動の中で発せられました。此度の再稼働とそれに類する策動は、人間としての誇りや矜持をことごとく踏みにじり辱める蛮行を歴史に記す行為に他なりません。この国の原子力行政を担ってきた貴省が、さらに驕慢なる「重罪」を重ね、自らをも卑しめる姿は悲しくも惨めなものとして映ります。私たちは、未曾有の原発震災を真摯に受け止めて、これまでのあり方を反省悔悟し改めてこそ、共々に救いの道が与えられるであろうことを確信し希求するものであります。
 原発政策に於いて一進一退のあったドイツでは、福島事故直後に脱原発に大きく政策転換させました。そして、その決断には宗教者を含む倫理委員会の存在が大きかったことが伝えられています。また、日本でも、2014年5月に福井地裁で大飯原発3、4号機の差し止めが言い渡された判決文では、人格権が広汎に奪われる事態を招く可能性を有するものとして原発の本質を捉えています。いずれも、福島の惨禍を経験してなお(その収束が見通せない中で)原発再稼働や原発輸出に進むことが、人間の倫理として許されることなのか、を鋭く問うものと言えます。
 此度は、差し迫った原発再稼働(特に川内原発に関して)にしぼり、異議を呈する理由を以下に掲げます。「あとから来る者のために」何を用意するのか、の観点から、理不尽で恥辱に満ちた現状を悲しみ憤りつつ、原子力行政の根本的転換を強く要求します。
   
 1.「安全」評価自体が責任不在の中で進められています。
 原子力規制委員会は、新規制基準に基づく適合性検査に於いて、川内原発1、2号機を「適合」と評価しました。が、田中委員長は「安全審査ではなく、基準の適合性を審査した。安全だということは私は申しません」と発言しました。一方政府は「原子力規制委員会によって安全性が確保されることが確認された」「安全性が確認された原発の再稼働を進めるのが政府の方針だ」と述べています。つまり「安全」ではないが「安全性が確認された」と、架空の「安全性」の上で地元同意も含め事態が動いているわけです。基本的段階で論理破綻と矛盾をあらわにして手続きが進む荒廃ぶりを、座視することはできません。
2.福島原発事故の総括がなされない中で進められています。
   「避難区域が250キロメートルに及ぶ」そして「われわれのイメージは東日本壊滅」、当時の原子力委員会委員長や福島第一原発所長が想定したという証言から、この事故がさらに厳しい事態に展開し得たことが示されました。実際、第一原発の安定は望めず、事故の内容、原因や過程の究明、それらの調査・検証はほとんどなされ得ない状況です。である以上、それらを踏まえた危機管理対策は本来立てようがないはずです。
 加えて、事故による放射能汚染への対応は、さらなる問題を呼び起こしています。「除染」や「帰郷」や「補償」、あるいは「中間貯蔵施設」や「指定廃棄物処理場」をめぐって、地域内で対立・分断も引き起こされています。子どもの健康に関する不信や不安も一層高まってきています。事故を招いた加害者の責任は不問に付する一方、ヒバクを強要され続ける被害者へは救済支援策も疎かなままの実態は看過できません。こうした棄民を強いつつ再稼働を進める姿勢は、それ自体非倫理的であるばかりか、再稼働後の過酷事故時に於いて同様の過ちを繰り返す予告を意味することを、認めざるを得ません。
   
 3.自然の猛威に対する謙虚さを欠いたまま進められています。
    昨年9月の突然の御嶽山噴火は、火山噴火の予知が甚だ困難なことを示すことになりました。特に川内原発には、過去に巨大噴火による火砕流が及んだ可能性が指摘されています。仮にカルデラ噴火の前兆を予知できたとしても、核燃料搬出が可能であるとする根拠は示されません。また、基準地震動の妥当性についても疑義が呈せられています。
 これらは、災害のもたらす影響力とその甚大性に鑑みれば、「確率が低い」とか「観測記録が存在しない」等の理由で葬られるべきものではありません。福島の場合でも、同様に危険性を指摘する声がありながら、コストの関係もあって放置した結果、重大な結末を招くに至りました。人間の限られた知見のみをもって判断し、未来もコントロールできると(しようと)する驕りの姿勢は、福島を経験した上ではなお、改められなければなりません。
   
 4.実効性のある防災対策を欠いたまま進められています。
   原発過酷事故時に於ける避難計画の困難さは、福島事故をふまえるにつけ、誰の目にも明らかとなりました。が、現行では、これら具体的な防災計画の策定内容は原子力規制委員会の審査対象外で、自治体に委ねられています。そして、それらの対策は、有事の際には当日の天候や風向きも含め、あらゆる場面で画餅に終わる可能性が高い、と言わなければなりません。そうした中で、高齢者や病弱者、入院患者や介護施設入所者等、いわゆる避難弱者にとって極めて厳しい環境におかれることが大いに危惧されます。こうした、人格権が奪われかねない可能性を放置したまま再稼働が進められることが、それ自体人間の誇りを傷つける議論であることは、基本的に意識されるべきです。
   
 5.民意を踏みにじりつつ進められています。
    既に国民世論として多数が「原発ゼロ」を指向しています。その中での再稼働の策動は、国民主権と民主主義への挑戦に他なりません。川内原発に於ける地元議会や県議会でも、拙速かつ一方的な強行採決が行われました。が、その間、周辺住民は広域にわたって反対の意思を表明しています。原発過酷事故の可能性がはっきりした以上、より広域に自治体及びその住民に、決定に関与させる道筋を講じる必要があります。人々の意思に背を向け、暴力的強行的手段でしか進められないとしたら、その時点で再稼働の策動は失敗であったことを認識すべきところです。
   
 「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」と前出の福井地裁判決は明言しています。
 私たちは、全ての住民が豊かな国土に於いて平和で安穏な生活を営み、かつ差別や犠牲を強要することのない社会を希求します。ところが今、「成長戦略」の下に進められる原発再稼働の動向は、深刻な過ちを犯し「国富の喪失」を招きながら、再び同じ過ちを繰り返そうとする愚かさを歴史に刻むことに他なりません。今はむしろ名誉ある根本的転換を模索するチャンスでもあるはずです。それらを踏まえ、まずは川内原発再稼働は絶対に認めないよう、強く申し入れます。
 

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