政策提言

「国策」=原子力政策の転換を求める提言(1997/10)

(1)「原子力行政を問い直す宗教者の会」とは

 「原子力行政を問い直す宗教者の会」は、欧米各国が撤退する中で唯一プルトニウム利用政策に突進し「牽引」していこうとするこの国の原子力行政に対し、それぞれの宗教信条に基づいて強い疑問と憤りを抱いていた全国の宗派教派をこえた宗教者が集まり、始動した。当初「もんじゅ」の臨界が予定されていた1992年、国と「対話」を行い、その過ちをただし改めさせるための第一歩を踏んだ。翌93年、「もんじゅ」の地・敦賀で、会の正式発足となった。

 会では、立場の異なった原発現地及び都市圏の宗教者が集い論じ合う中で、原発の本質にもつ「差別」の実態に逢着することになった。すなわち、この国の人々が、原発「必要神話」を受け入れ「豊かさ」「快適さ」を謳歌することによって、被曝労働者へはもちろん、原発現地住民、六ヶ所村住民、そしてアジアの人々に対してまでも、私たちは加害者に立たされている現実を確認した。それこそが、今日の「国策」原子力行政の特質であり、過去の「国策」侵略戦争における背景や状況を想起させ、顛末をも予測させるものである。私たちは同じ轍を踏むことをさけるべく、「国策」の過去と現在を問い、自己や所属教宗派のあり方をも問い直しながら、未来へのビジョンも探求したい。

 その間、事実経過そのものが、予測に先行して、原発・核燃サイクルの「安全神話」「必要神話」の虚構性・欺瞞性を雄弁に語っている。相次ぐ動燃事故とその事故処理の実態は、プルトニウム利用の危険性と不合理性を示したにとどまらず、責任所在が欠如しながらも迷走する、ほころんだ「国策」の内実を明らかにした。一方、物質的繁栄のみを扇動され、人間関係を分断され、いのちそのものをモノ化し軽くさせる各種犯罪が増加している。「豊かさ」によって心身を蝕まれていく人々の苦悶をこれ以上見過ごすことはできない。これら、いよいよ破滅に直面したこの国の惨状には、「国策」=原子力行政の影が映る。私たちの会は、「いのちの尊さ」の共通の土台に立脚し、自らの過去の戦争責任を問い反省しながら、犠牲にされている人々に連帯して、国の棄民政策を改めるよう求めるものである。

 既に、「わが国の将来を左右する重要問題である原子力政策やエネルギー政策の展開について」、「これまでの経緯にとらわれることなく」、「原子力長期計画を見直すこと」と、3県知事による「提言」が国に対して出されている。新潟県巻町の住民が自主的に運動を展開し実行した住民投票の結果において、原発建設反対の多数の意志が明確になっている。状況は確実に変化している。私たちはそれらを踏まえながら、以下「提言」を試みるものである。

(2)過去の「国策」に対して宗教者はどう対応してきたか?  近代化を急ぐ維新政府は、欧米列強に追い付こうと「文明開化」政策を進めるかたわら、「脱亜入欧」とアジアヘの蔑視感を植え付け、「富国強兵」策を強力に推進し、早くからそれらの諸国への軍事侵略を行い、それは敗戦に至るまで執拗に続けられてきた。この国の近代化は、アジアの民衆への差別に基づく人命や財産の椋奪、犠牲を強いることによって、成り立ったものであった。

 これらのイデオロギー支配を策した政府は、神社神道を国家神道として統合し、天皇に隷従する独善・排他的な国家主義「臣民」をつくり上げた。そして他の諸宗教もこの絶対天皇制に取り込まれ、国家神道思想への加担・協力を求められた。布教・伝道の名のもとに、これを扶翼し、民衆へ教育し、戦地におもむかせ、侵略戦争の加害者に自他共に仕立て上げた。そしてこれらの後遺症は、今日においてもなお時として噴出するほど根強い(靖国問題を取り巻く状況)。私たち宗教者は、かっての「国策」=侵略戦争を防ぎきれなかったというより、教団によっては積極的に加担した背教的歴史を、真摯に反省懺悔しなければならない。

 この国は、戦後半世紀以上経過していまだに戦争責任を清算していない。そればかりか、多くの場面でかっての過ちをくり返そうとしている。誰も責任を取ることのないこの国の体制は今日も同様であり、国民をマインドコントロールしつつ、「繁栄」のためにアジアの民衆を切り捨て、踏み付けにする構造(アジアヘの原発輸出の動き)は、現今の原子力行政において端的にあらわれ、かっての「国策」=侵略戦争の経過にあまりに酷似している。私たちは二度とだまされることは許されない。

(3)現在の「国策」=原子力行政と私たち宗教者
 戦後日本は戦争の清算ならぬ「戦後復興」ではじまり、さらに「経済成長」を「国策」として推進することとなった。その間、水俣はじめ各地に公害を発生させ、健康を蝕ませるにとどまらず差別を加えてきた。それにともなう諸矛盾には目をつぶり、大量生産・大量消費・大量廃棄に必然的に突き進み、省みることはなかった。まさに、これらの延長上に今日の原子力行政が構築されている。エネルギー危機が演出され、「石油の次は原子力」という虚偽が弄された。そしてこれを機に、飛躍的に原発政策が打ち出された。(今日の「原発はCO2を出さないからクリーン」という虚偽宣伝にも通じる。)今日においても、これらの宣伝や物質的欲望の扇動による「原発必要神話」は、多くの人々の心を縛っている。

 本来、これらの収奪的物質偏重文明のあり方をこそ批判し、ただしていくべき宗教者自身がこれにどっぶりつかり、また肯定している現状がある。既に、加害者側に立たせられている。「原発必要神話」を支える陰に、被曝を余儀なくされる現場労働者、日々事故の不安に脅かされる現地住民の姿がある。さらにこれが、アジア諸国民にまで波及されようとしている。私たちは自らを問い直しながら、これら犠牲を強いられる人々との真の連帯を目指したいと願っている。

 また一方で、戦後さらに顕著になった米国寄りの科学技術立国を目指す動きは、容易に原発推進政策に結び付いた。そして、これは人々を神仏ならぬ「科学技術」信仰へ導くものとなった。「もんじゅ」「ふげん」の命名の由来は、巨大な核エネルギーを科学技術でコントロールするという傲慢さと、いささかの葛藤の跡(神仏頼み)を物語っている。この似非「信仰」は、科学技術で未解決の問題も未来には解消できる、という楽観的かつ責任不在の独り善がりの「信仰」であるが、数々の宣伝や扇動により、多くの人々がその有害な信者になってしまった。

 現在の「国策」=原子力行政は、事故や放射能汚染の直接的問題に加え、あらゆる面で害毒を流している。各種交付金制度をめぐる現地での札束攻勢は、人々の拝金主義と人間不信を増長させている。これによって地域経済は窮地に陥り、地方(住民)自治の後退を余儀なくされている。さらにその刃は、伝統的な精神文化の領域にまで向けられている。人々は益々刹那的・利己的になり、心の汚染・荒廃はとどまるところを知らない。これら原子力行政をめぐる状況は、何よりも平和をあらゆる段階において脅かし、将来世代や各方面にわたって破壊を招かざるをえない。

 このような現状に接しながら宗教者が沈黙していることは、もはや犯罪行為に等しい、と私たちは認識している。

(4)未来展望(ビジョン)の探求
 国をあげてかくも強硬に推進されてきた原子力行政も、相次ぐ事故や事故処理等を通じてみずから墓穴を掘ると同時に、電力事情の変動をはじめ世界の潮流の変化をうけて、今後修正を迫られることだろう。原子力は既に若者の心を引き付けるものではなくなり、各大学の「原子力工学」は縮小・廃止の方向にある。しかし、技術者の育成に困難をきたす動向は、現場におけるマニュアル頼みの傾向を一層顕著にし、一連の動燃事故に見られるような混乱を引き起こす可能性を強めている。これは由々しきことである。仮に今、すべての原発を廃炉にし、施設を閉鎖したとしても、放射性廃棄物の安全管理は永続されなければならない。人類の負の遺産の管理を幾世代にもわたって怠ることは許されない。今後は、原子力を選択した現代世代の将来世代への責任・使命として、いわば後始末のための技術や人材を開発育成する必要がある。

 その上で、エネルギー対策としては、原子力に代表される巨大資本・技術による独占管理体制から、太陽光熱、風力、地熱、バイオ等による地域の小規模分散型の発電(新エネルギー)へ転換をはかるべきである。私たちは、再生可能で公平な自然の恵みに感謝しながら、これを用いることで、自然や人間との分断された関係を修復し、有機的なつながりを取り戻すことができる、と期待している。

 また、私たちはエネルギー消費のあり方自体も問わなければならない。自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚でありたい。省エネルギーのそれぞれの推進と努力は今後欠かせない。既に省エネを効果的に実行したり、太陽光発電の導入に独自の助成策を進めている自治体もあらわれている。

 私たちは、これらの動きを踏まえ、さらに市民や各分野の人々と提携を深めていきたい。私たちは、原子力に代表される、国家が人の生死を規定するあり方を敢然と拒否し、また生死を国家によって奪われてきた人々と思いを共有しながら、自然やすべての「いのち」との共生を目指し、互いに支え合い、敬い合う社会の実現に向けて、なお一層の信と力をささげよう。出会うことの決してない遠い将来世代と、今、私たちは確実につながっている。

(5)提言
 以下にかかげる私たちの提言は、現在の危機的な「国策」=原子力行政にいかなる方向転換を迫るべきかという、いわば根幹に相当するものである(下の概略図も参照)。それから派生する枝葉や収穫すべき果実については、さらに衆知を集め、広く連携・協力することを訴えたい。

①超危険・超浪費・反平和をまねく再処理~プルトニウム利用からの勇気ある撤退を
  (機構・予算の縮小→廃止へ)。

②これまでの過誤をくりかえさないために、原発不増設、アジアへの原発輸出禁止を  
 (⑤の堆進と、それによる貢献を)。

③全生命圏と後世代のために、既設原発とその核廃棄物の後始末を
  (その中・長期計画の策定、機構・予算の確保を)。

④棄民政策の最前線に立たされている、被曝労働者の安全・救護対策を
  (機構・予算の拡充を)。

⑤自然と人間と地域性などを大切にする、省エネルギー対策、新エネルギー開発を
  (機構整備、予算の大幅な拡充を)。

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