▼東海村住民 藤井学昭氏からのお礼とお願い

東海JCO臨界被曝事故にたいしての
 お見舞いの御礼とお願い


1999年10月20日
東海村  藤井 学昭


 9月30日のJCO臨界被曝事故にあたって、全国の皆さんからお見舞いとご心配のお気持ちを多数いただき誠にありがとうございました。たまたま繋がった電話先からは、一様に「何と申したらいいか言葉になりません」という本当にありがたいお言葉をいただきました。そうなのです。今回のこの事故は、まさに私にとっても言葉にならない、目に見えない臭いもない放射能による「不安と恐怖」に打ちのめされた日々でありました。人間の声が、手紙の文字がこんなにもあたたかいものかと感じたことはありません。本当にありがとうございました。

 当日は雨上がりのいいお天気でした。10時35分に事故が発生し、住民への連絡は12時30分という通報の遅れです。その2時間の間には、ごく普通の日常生活がそこにはあったのです。幼い子供が遊び、妊婦さんが散歩をし、当たり前のお昼ご飯があったのです。私もその一人でありました。本当にさわやかな晴天であったのです。

 どのような経過をたどって今回の事故が起きたかは少しづつあきらかになってきました。原子力産業の会社がどれほどいいかげんなものか、許認可を与えた国の責任があまりにもひどい内容であったか。行政の防災の在り方が何もなかったことへの怒りや、等々。

 しかし地域住民にとっての問題は、外部に放出された放射能とは何なのか。その恐怖を与えたことにほかならないのです。臨界事故によりどのような放射線が、放射性物質がどうのように飛散したのか、その範囲は、量は、種類は何か。それが住民である私たち一人一人にどのような影響と意味をもつものなのか。「ただただ安全だ」と言う言葉だけが一人歩きをしています。よくも悪くも事実を知りたいのです。そのための基本的なデータがいまだに出ておりません。私たち地域住民は少なからず被曝をしているのです。将来にわたる不安と恐怖をもち続けて今を生きているのです。

 原子力産業に従事する作業員をはじめ近隣の住民に、どれだけ被曝者を作り続けたら済むのでしょうか。

 私たちが守るべきものは何でしょうか。この前の戦争末期、国体護持の名目でどれだけの人々が殺されていったのか。日本のエネルギー政策(原子力)を守るためにどれだけのいのちが殺されなければならないのでしょうか。私たちが守るべき生活とは何でしょうか。

 どうか皆さん、この東海村に思いを馳せてください。まだまだこれから大変なことになっていきます。差別と偏見をも生み出していくでしょう。どうかこの国が国是としている原子力政策に対し怒りの声、悲しみの声を発してください。国家・原子力産業に対して、また自らに対しても。それが何よりのここ東海現地住民に対する声援です。東海村住民にとって原子力とは、国家による無差別殺人であるとはっきりと見えてまいりました。

 この辛さ、悲しみを全国の皆様に発信いたします。

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