会の歴史と集会の記録

結成全国集会までの歩み

▼結成までの経緯









結成全国集会までの歩み
     ~これまでの経過~




1、前史時代


 「10月行動」の実現に向けて (~92.10.1)
 これまで宗教者で反原発脱原発の立場で発言し行動している人は、全国に散在はしていた。そして国の原子力行政が世界の潮流に逆行して突出していく姿が明らかになるにつけ、その“すその”は次第に広がりを見せていた。しかしその宗教者たちが教派宗派を超えて全国規模で一つの目的のために行動するということは、希求されてはいたが現実的には、なかった。これら各地で原発問題に取り組む宗教者をつなぐ役割、すなわち本会結成の嚆矢の働きを、日本山妙法寺の釘宮海証さんが担った。彼は全国を行脚しながら「宗教者として国へ意志表示をしよう」と呼び掛け、92年4月6日~8日 京都に於て第一回目の集会が開かれた。


 第一回目の集会では、少人数で意志の交換をやりとり共通理念を固めながら、国がプルトニウム社会に突入する象徴的な意味をもつ、高速増殖炉「もんじゅ」の臨界の時期に(当初92年10月といわれていた)宗教者として行動をしよう、との合意をもってその後の動きのスタートをきった。その10月行動に向けて、7月に綾部で、8月に東京でそれぞれ小集会をもち、行動の日程や方法、賛同人募集やよびかけについて、また「申し入れ書」や「よびかけ文」など、内容面を具体的に検討した。かくして92年10月1日、通産省;資源エネルギー庁および科学技術庁と不充分ながらも「対話」の実現に至った。


 (1)行動方針としては
 国の推進理念である「必要性」と「安全性」を宗教者の立場で、特に「必要神話」を打破していこう。宗教者自らを見つめながらも、共通する信念を掲げて国の姿勢を問いただそう。このような方針を確認した。


 (2)会の名称は
 「’92原発現地の宗教者の集い」としてスタートしたが、「原発現地」定義の問題から「現地」が削除されて「’92原子力行政を問い直す宗教者の会」となり、「’92」もはずされて今日に至っている。ただ、会の名称についてはその後各方面から何度も様々な意見が出されている。


 (3)行動方法は
 当初、省庁へ出向いて申し入れを行う方法も検討したが、人数や時間の制約の問題を考慮して、役人を呼んで「対話」を行なう方法をとった。


 (4)組織・運営については
 代表は置かず(置くべしとの意見もある)、事務手数や経費の問題から、事務局の一元化もしない。それぞれが賛同人募集をし、よびかけ・発送作業を行う。また「組織」の詳細は「10月行動」以降ということにはなったが、この件に関しては多少の問題や反省点を残すこととなった。





2、「10月行動」(92.10.1/10.2)



 (1)「10月行動」の経過
 参議院議員会館に於て、通産省;資源エネルギー庁と科学技術庁とそれぞれ「対話」を行なった。これは、予め提出した質問事項に各担当役人が答える、という形式でそれに対する質疑と話し合い(実際は「抗議」となったが)が展開された。≪この時の内容については「10月行動報告集」に要旨が掲載、以下若干参照した≫


 質問書は、通産省に関しては、原発の「必要性」を電力の需給関係(長期休暇の提案)とエネルギー需要の価値観を問い、「安全性」を苛酷事故対策や関連して電源三法交付金の意味合いを問うものであった。科学技術庁に関しては「もんじゅ」や六ヶ所村再処理工場、その他のプルトニウムに関する諸問題についての質問であった。役人の答弁は官僚的で人間不在の「公式見解」を出るものではなく、それ故こちらからの質疑や抗議が噴出した。結果として、問題をしぼりきれないまま「時間切れ」となってしまった。


 当日の晩は、築地本願寺に移動して、その日の反省を含めた「交流会」を行い、翌日は今後の活動や方向性を模索するための「協議会」を開いて、参加者一同熱心に話し合った。


 尚、特に通産省;資源エネルギー庁との「対話」の中で新たに発生した質疑
  1.下請け労働者の被曝状況の調査
  2.原発立地をめぐる諸問題についての調査
  3.原発をベースにすることの根拠
を後日「再質問書」として提出、回答を求めた。


 (2)「10月行動」の反省
 此度の「10月行動」は、1.全国の超宗派の宗教者が反原発脱原発のもとに初めて一同に集まったこと、しかも2.予想を上回る70名近くの参加者と、300名を超える賛同者を数えたこと、そしてとにかくも、3.国との「対話」が成立して国の原子力行政に関する見解を聞き出せたこと等が、多少ひいき目に見て評価し得ることであろう。スタートの段階故に可能性も大であるが、問題点や反省点もまた限りなくある。


 両日間で出た意見としては、1.参加者に対しての集会の趣旨の不徹底(「抗議」なのか「対話」なのか) 2.問題点を明確に引き出してしぼりきれなかったこと。 3.内容面についての作戦を立てて追及するまでの準備不足 4.「宗教者」が他とどこが違うのかがはっきりしなかったこと 5.組織としての「責任」の所在が不明確だったこと等であった。(これらの意見は必ずしも全会一致をみたものではない)


 (3)「10月行動」後の展望は
 しかし、そもそも此度は「10月行動」にしぼって計画実行したものであり、会のその後の展望までは考えてはおらず、話し合いに委ねられることになった。特に組織面での事務局のあり方や「宗教」のとらえ方が課題となってくる。ともかくも組織的には「10月行動」で一旦ケジメをつけて、改めてその後の宗教者のネットワーキングや活動を目指していくことになった。そして、差し当たりその「準備会」を「10月行動」呼び掛け人+有志の人々の責任で設定することになった。





3、会結成に向けて (92.10.2~)


 (1)「10月行動」から派生したこと
 正式の会結成前に、「10月行動」のしめくくりとして残されていた、通産省;資源エネルギー庁からの「再質問書」回答が93年1月27日に口頭でなされた。少人数で役人と「再対話」となったわけだが、国の「理解いただく」という強引さと「法的に問題はない」という驕慢さが一層鮮明になった。今後さらに追及していくべきだろう。また、この日前回の「対話」を踏まえた上で総括した「警告文」を両省庁それぞれに文書で提出した。“やりっぱなし”ではなく、その都度はっきりした意志表示をすることは必要だ。


 実際の動きとしては、このように「10月行動」から派生したことや、この間の交流を通じてむしろ活発化している。4月に能登の珠洲市に対して、当地に計画されている原発立地の白紙撤回を求める緊急署名を、「脱原発全国宗教者の会」の名で全国に呼びかけ提出したことなどは、その典型である。


 (2)会結成のための「準備会」 (93.1.14/1.15 於 京都)
 92年の「10月行動」から、新たな会結成に向けて「準備会」が開催された。全国から30名近くの有志の人々が集まり協議した。そこで、全国の宗教者の会(名称は協議の上、当初の「原子力行政を問い直す宗教者の会」に落ち着いた)を7月初め頃までに結成すること、そのために全国から世話人を選出(21名)し、世話人会を開いて発会に向けての準備に当たること、「宣言文」を作成すること、等が決められた。


 その間の論議では、組織形態について、また行動内容について、多くの意見が出されたが、一致をみるところまでは至らなかった。ただ前者では、一元集中的な組織ではなく、地域の世話人ごとの地域分散型の運営で、会計面では各ネットごとの独立採算制(会費制をとらない)で行っていく方向が示された。後者では、年一回行動、労働者被曝の追及、原発現地・市民グループとの関わり、意見広告、ネットワーク作り、地元の問題、宗教会・宗門中枢へのはたらきかけ、「宗教」へのこだわり、「祈り」行動……まだまだたくさんの意見が交わされたが、それは課題の山積みぶりを表わすものであった。


 (3)会結成のための「世話人会」 (93.5.6~5.8 於 京都)
 新たに加わった世話人を含めた12名が集まり「世話人会」を行なった。「原子力行政を問い直す宗教者の会」結成全国集会の具体的内容を討議した。当日の日程および役割分担、特に「もんじゅ」見学と敦賀市長への申し入れの件、「宣言文」や「よびかけ文」のこと、発送作業等について話し合われた。会の代表という形はとらず、その分各地の世話人が運営を担うことになる。



東海臨界事故にたいする集会後の声明文

東海臨界事故にたいする声明文
原子力行政を問い直す宗教者の会
 私たちはこれまでそれぞれの宗教信条に照らし、自身を問い直しながらこの国の原子力行政を問い、そこに許し難い欺瞞と差別の構造を見出し、破滅に向かう行く末を憂慮し警鐘を鳴らしてきた。これらが今、恐怖感を伴いながら実感される事態になった。

 1999年9月30日発生した茨城県東海村の臨界被曝事故は、事故の実態及びそれの対処の状況に於いて、原子力行政が既に破綻しまた機能し得ない現実を思い知らせることになった。そればかりか、私たちが何も知らされないまま被曝を強要され、未来にわたって「原子の火」に殺されるシナリオさえもできつつある。私たちは、この深刻な現実に直面し、私たちが確認し訴えていく最後の機会になるのではないかとの危機感の中で、ここに緊急集会を東京で開催し、主に以下の点を押さえながらこの度の事故の状況を整理し、国との申し入れ・対話を行った。

(Ⅰ)これは国が中性子爆弾を住民に浴びせた「無差別殺人」だ
 ①事故に於ける住民被曝

 臨界という絶対起こしてはならない基本中の基本を踏み誤ったこの度の事故は、それが何ら防護のない所で発生することによって、必然的に大量の中性子線を周囲に撒き散らすことになった。かつ、強い放射線への緊急対処を講ずべき事故直後の4~5時間を放置することによって住民に取り返しのつかない被曝を与え、その後の避難及び退避措置は、本来発生源からより遠くに離れるべき防災の基本を無視し、妊婦や乳幼児を含めた住民に、さらなる被曝を求めることになった。しかのみならず、放射性ヨウ素他の放射性物質も事業所から垂れ流しにされていた事実が、政府が「終息宣言」「安全宣言」を迅速に出した後に明らかになった。

 このようにこの度は、JCO事業所の臨界事故に、行政の人為的あるいは無策故の被曝が加わった事実がある。その責任は大いに問題にされなければならない。特に、国が事故後に地元住民に行った「がん、白血病などの晩発性の影響は実効線量で約200ミリシーベルト以上でわずかながら増加が認められるが、50ミリシーベルトより小さければ心配ない」との説明は、一般人の被曝線量限度を年間1ミリシーベルトに定めたICRPの勧告値をいきなり50倍許容させることを意味し、年間5ミリシーベルト以上の被曝で自血病が労災認定される基準に照らしても、あまりに暴力的と言わざるを得ない。

 ②緊急作業による労働者被曝

 臨界を終息させるための水抜き作業等でJCO社員が大量の「計画被曝」を余儀なくされた。緊急作業時の職業人被曝線量の上限値100ミリシーベルトの根拠は問題であるが、今回はそれすらも越えて被曝する労働者が続出した。事故現場で大量被曝した3名の作業員以外にも多くの人がこのように職業的な被曝を強要される事態となったことについて、その責任を問うていかなければならない。

 ③データの公開と正確で納得のいく説明を求める
 この度の事故に於ける避難・退避措置及びそれらの解除の根拠となったであろう住民の中性子線被曝線量データはしぱらく明らかにされなかった。中性子線の距離、放射性物質の核種やその拡散状況、被曝の実態の正確な把握は住民にとって自身の命を守る最低限の人権的次元のものだが、いまだ不透明のままだ。国はこれらの基本データを公開した上、正確で納得のいく説明を施す義務がある。
(Ⅱ)原子力防災を国に任せては危ない
 ①「原子力災害対策特別措置法」は

 原子力防災に関しての新法の法制化が急ぎ進められている。これは、国の一元的統制の下で権限を国に集中させて住民対策も講じられ、情報管理も一段と進むことが懸念される極めて危険な新法である。

 この度の事故に於いて、国は対策本部設置等の事故への対応が著しく遅れ、適切な情報提供も行っていない。国は何もなし得なかったばかりか、その後の措置では住民への不要な被曝を強いることになった。今回の事態を踏まえれば、初動できなかった国が地元自治体に替わって原子力防災の独占的一元的管理を強化することは、住民の安全面からも防災の基本からしても大いに問題であることがわかる。新法制定によって、住民を汚染から脱出させるよりむしろ閉じ込める方向、住民の避難行動を今まで以上に妨げる方向により作用されることに危惧感を禁じ得ない。住民の生命ではなく、国の原子力推進体制を守るために、住民が事実を知らされないまま行政によって殺される状況が生み出されることが予測される。同法案の廃案と抜本的な再検討を求めたい。

 ②「2000年問題」との関連で

 原発の運転に関し、「2000年間題」が大いに憂慮されている。基幹部分の対策がなされようとも、人為ミスを含んだ些細な原因で複雑に事故を招き寄せる未知なる不安は解消されておらず、京都での大規模な停電等に見られるような前兆的なトラブル例も一部で起きている。

 臨界事故後の折りでもあり、当面、緊急で最良の防災対策として、電力需要の底をつく年末年始に原発や核施設の停止、総点検を実行すべきである。

(Ⅲ)原子力・エネルギー政策の転換を
 この国の原発・核施設の事故はこのところ頻発し、しかも明らかにレベル・アップが進んでいる。この度の事故は、政府発表ではレベル4だが実際には所外へのリスクを伴っており、レベル5の事態といえる。ここで根本的な政策転換をせず、これらの事故を軽視し続けるならば、近い将来レベル6~7クラスかそれ以上のカタストロフィは必定である。

 言葉を替えれば、政策転換のチャンスということだ。世界的な原発政策特に再処理路線からの撤退、再生可能なエネルギーの選択という潮流からしても、国のメンツを何ら損なうことなく大転換が可能なはずである。

私たちが97年10月にまとめた「『国策』=原子力政策の転換を求める提言」
 
 1.再処理・プルトニウム利用からの撤退
  2.原発不増設、アジアヘの原発輸出禁止
  3.既設原発とその核廃棄物の後始末
  4.被曝労働者の安全・救護対策
  5.省エネ対策・新エネ開発
 これらの真剣な検討が、この度の事故による世論の変化を踏まえ、民主的で公明正大な議論の上でなされることを要求する。
1999年11月16日

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