「東海臨界事故」緊急集会(99,10,28)

緊急集会へのよびかけ

 深刻で衝撃の事故に、ついに私たちは遭遇することになった。臨界事故という、基本中の基本をいとも簡単に事業者自らが破った今回の現場は、またもや東海村であった。東海村の村民憲章には「わたくしたちは ゆかしい歴史と原子の火に生きる東海の村民です」とある。ここに示される通り、村の主要な沿道には核施設が立ち並び、村民の暮らしと接している。97年の旧動燃の爆発被曝事故に続き、この度の核爆発というべき臨界事故は、原子の火に殺される村民のみならぬ周辺住民の姿を誰の目にも明らかにした。

 この国の原子力開発の歴史とその後の展開、そして今日の状況を見るにつけ、この度の事故は、あらゆる意味に於いて問題が凝縮し象徴的にも思える。国は最初の商業炉を東海村に稼働させるに当たり、60年に大事故の損害を試算させた。1000万キュリーの放出を想定し、気象条件にもよるが、最大で3兆7000億円(当時)の損害額、災害範囲は首都圏を完全に網羅する200キロ圏、という数字が出た。これにあわてた政府は、急遽マル秘扱いとした。この国の原子力開発は最初から秘密裡に進められた。そして、この原子力に初めて予算をつけたのが中曽根康弘氏(元首相)だが、事故当日の小渕改造内閣の組閣人事(これによって政府の対応が遅れた)で、奇しくも二世の弘文氏が新たに科技庁長官に就任した。40数年を経て、親の過ちをそそぐべき絶好のまた最後の機会とも思われるが、就任インタビューで彼は、「安全なものだともう一度理解してもらう努力が必要」と語っている。この期に及んで彼は罪の上塗りをし、私たちを破滅に導こうとしている。世論調査では原発推進「反対」が「賛成」を上回ったが。

 事実、私たちは崖っぷちに立たされている。95年「もんじゅ」火災事故、97年東海再処理工場爆発事故に続き今回と、着実に事故のレベルアップが進んでいる。政府発表ではレベル4だが、実際には所外へのリスクを伴うレベル5というべき事態であり、後はない。もはや原子力からの撤退の道しか残されていないはずだが、政府はこの事故でさえも利用するかのように次なる方策を既に目論んでいる。「原子力防災新法」制定の動きだ。すなわち国の一元的管理の下で、権限が国に集中するかたちで住民避難命令措置をも講じる、というものだ。先の国会での矢継ぎ早の悪法制定との関連の中で、私たちが事実を知らされないまま(知ることを許されないまま)みすみす原子の火に殺される状況が生み出されようとしている。黙っているわけにはいかない。

 この度の事故に即して言えば、ウラン再転換施設JCOの会社としてのズサンな管理態勢の問題に矮小化させるような「世論誘導」をも感じる。これらを放置しチェックできなかったことは国も同罪であることを示している。しかのみならず、対応の著しく遅れた政府は、事故の火消し=地元自治体が要請した避難及び退避措置(これ自体が重大な問題を含んでいるが)からの解除、「終息宣言」「安全宣言」だけは迅速に行うという政治対処をした。その間、住民には臨界による中性子線のみならず、放射性ヨウ素他の物質を垂れ流しにすることによって、さらなる被曝を強要した。一方、臨界終息のための水抜き作業では、緊急時の限度をも越える、最高120ミリシーベルトの被曝があったことも後日判明している。

 私たちは、9月に「被曝労働を問う」全国集会を行ったばかりである。この時問題にしたシュラウド交換作業の実に4~5倍の被曝線量(福島Ⅰ―3を基準に)をこの度の作業で強いることになったのである。私たちはこの今日の状況を前に、一般人であれ職業人であれ被曝を強要せずにはおかない原子力の本質と実態を、はっきりと訴え、またその撤退を強く要求していかなければならない。未来のいのちをも殺され続けることを座視するわけにはいかないではないか。天は、私たちにこの時代この国に居合わせることを通じて、宗教者の本来あるべき姿を自覚させ、祈りと行動を促しているのだろうか。

 私たちは、緊急に東京で集会を開き、この度の事故の状況を整理し、国への申し入れ行動に臨みたい。共々に今日の危機を共有しながらも、今まさに原子力行政が進退の岐路にあることも見定め、私たちそれぞれの歩みをも踏みしめていこう。
1999年10月28日
原子力行政を問い直す宗教者の会
集会代表 藤井学昭

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