掲載新聞記事(仏教タイムス)’93.7.30

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宗教者と“原発”
レポート 「原子力行政を問い直す宗教者の会」
原発の差別と暴力性に
現実直視し行動を提起



 原子力発電への依存度を高める国の原子力行政を批判し、反・脱原発運動を進める宗教者がさる6日、福井県敦賀市で「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成集会を開いた。集会と翌日の「もんじゅ」見学の様子を報告する。

 結成集会に参加した宗教者は、宗教も地域も様々だ。宗教者自身の問題意識から宗派を超えた自発的な集まりができることはまれである。自教団については知っていても、他宗の動向や社会問題に関心を持たないという宗教者が多いからだ。「キリスト教と仏教は違うものと思っていたが基本は同じということがわかった」と、栃木県のプロテスタントの参加者は語る。共通するのは、宗教者として「いのち」を真剣に考えること。そして、その「いのち」を疎外するものへの怒りである。

 沈黙破り告発
 敦賀市の立花正寛氏(浄土真宗本願寺派)は、「原発とつきあって23年」。小学校5年の時、敦賀に原発ができると聞かされて以来だ。その間、行政と電力会社が描くバラ色の未来は実現したのだろうか。確かに道路はよくなり、公共施設も整ってきた。

 だが、立花氏の寺の門徒総代は原発で働いていた息子さんを癌で亡くし、沈黙を破り地元の新聞に原発の危険性を訴えた。ほかにも白血病や癌で亡くなる人を多く見てきた立花氏は「これまで若狭湾に放出された放射能は天文学的な数字ではないか」と憂慮する。「あらゆるいのちの問題に関わってこそ宗教者。命がけで運動を広めてほしい。さもないとどんどん犠牲者がふえる」と、訴えた。

 能登半島の先端、珠洲市は原発誘致に熱心だ。ここも過疎は深刻。塚本真如氏(真宗大谷派)は、この春行われた市長選挙で現市長を推す原発推進派から「反対派の家族構成などすべてを把握していやがらせを受けた」こあとを報告した。

 投票用紙を印刷しているのが市長の身内、市役所の職員は縁故採用がほとんどという地縁・血縁の利害がからみあう土地柄で反対を表明することは容易ではない。それでも「運動の先頭に立っているのは宗教者」という。

 翌7日、参加者は高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の見学と高木孝一・敦賀市長への申し入れを行った。まず動力炉・核燃料開発事業団敦賀事務所で動燃側の用意したバスに乗り「もんじゅ」に向かう。

 敦賀半島を横断し若狭湾にでると、91年2月に日本の原発史上最悪の事故といわれる蒸気発生器伝熱管(細管)破断事故(ギロチン破断)を起こした関西電力美浜原発が現れた。事故の原因は完全に究明されていない。前日、若狭の中嶌哲演氏が紹介した事故を語る子供たちの悲痛な作文が頭をよぎる。

 美浜原発を横目にトンネルを抜けると「もんじゅ」が立地する白木地区だ。“原発銀座”を実感する。トンネルは、“陸の孤島”だった白木地区の住民が原発と引き替えに手に入れたもの。「それは本来、行政の問題ではないか」と参加者の一人がつぶやく。

 見学は“人数の関係から”外観のみ、写真も制限された。厳しい規制に白け気味の参加者たち。28万キロワットのこの原型炉はまだ試運転段階だ。燃料のプルトニウムペレット製造工場の故障の原因が解明できないため、10月に予定されていた臨界が大幅に延期されそうな状況なのだ。

 皮肉なことに、動燃のパンフレットには高速増殖炉「もんじゅ」と新型転換炉「ふげん」は文殊菩薩と普賢菩薩に由来し、獅子と象に乗る姿は「強大な力をもつ巨獣を智慧と慈悲で完全にコントロールしている姿」で「原子力の巨大なエネルギーもこのようにコントロールし、科学と教学の調和の上に立つのでなければ人類の幸福は望めません」とある。人間の智慧は「半減期が二万四千年、耳掻き一杯で数万人を殺せる」プルトニウムという巨獣を制御できるのだろうか。技術的な問題は専門家も指摘、海外からは軍事利用への懸念も高まっているのだが…。

 “国策”の壁が
 動燃との質疑では、予想通り紋切り型の答えが続いた。地元への協力金の支払額を問う質問に「常識的なおつきあい。相手のあることで金額は差し控えたい」などの答えに「答えになっていない」の声も飛ぶ。市長への申し入れでも、「電力需要が増大する以上原発しかない。日本の原発は世界一安全」との答えが返ってくる。だが、情報公開を求めても「国の政策」を盾に拒む市長も「地方経済の独立を成り立たせなくしてきたのは国策ではないか」との指摘に返答に窮する場面も。国―県―市の縦割り行政が、「原発など来てほしくない」という本音をふさぐ構図がかいま見えた。

 敦賀の夜は闇が深い。原発銀座で作られる電力は敦賀のためのものではない。関西方面に送られ、不夜城を作る。都市の欲望を満たすため、過疎に苦しむ地方の住民の健康を蝕み、人間関係を破壊、巨額の協力金という麻薬で“活性化”を図るという地方経済の疲弊が加速される。

 「原子力が本質的に持つ、強者が弱者を権力と金で支配する機構」が、都市住民の過疎住民への、北の南に対する、人間の人間以外に対する、現代世代の将来世代に対するそれぞれの「差別性・暴力性」であると、宣言文は指摘し、「一切のいのちが破滅の渕にあるこの現実を直視し、根本的具体的解決のため祈り行動」することを表明した。それは、どのような文明を選択するのかという宗教者個々への問いかけでもあろう。(つづく)

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