会の歴史と集会の記録

第3回 「六ヶ所」全国集会/掲載新聞記事・仏教タイムス’95.8.3

仏教タイムス950803

       原子力行政を問い直す宗教者の会
      六ヶ所村で集会
          韓国から反原発カトリック神父らも招き

 宗派を越えた宗教者で作る「原子力行政を問い直す宗教者の会」(集会代表=岩田雅一・板井基哲氏)の第三回全国集会が、七月三日から五日にかけ青森県六ヶ所村で開催、韓国から招いたカトリック神父らを含め九十五名が参加した。

 六ヶ所村は今、国の手で「核燃サイクル」事業が強力に推し進められている。四月には高レベル放射性廃棄物が搬入された。同会ではこの地に集約的に現れている問題を、「『国策=核燃サイクル』を問う―今、宗教者として」のテーマで捉え集会を企画した。

 集会は、四氏による発題、話し合い、「原燃」敷地内の視察、ルポライターの鎌田慧氏の講演、地元の運動との交流、村内行進、村及び「原燃」等との交渉や対話などと共に、祈りの時間を設け異なる宗教者の言葉に思いを共有した。

 石川県の長田浩昭氏(真宗大谷派)は「日本の原発は国策で動いている。誘致する側のお上意識が根強く、またそれを植え付け、国策・棄民政策を推進してきた責任が教団にある」と、国策を掲げる経緯や背景について自己とのかかわりから述べた。

 弘前市の千葉仁子氏(日本基督教団)は、「寺下訴訟」(国=「原燃」が寺下元六ヶ所村村長を侮辱した事への謝罪と名誉回復を求める訴訟)を通し、旧日本軍と変わらない国の体質を指摘。八戸市の岩田雅一氏(同)は、日本のプルトニウム政策の本質を述べ、「原子力共栄圏」の中枢に位置づけられた六ヶ所村やアジアの人々との連帯を訴えた。

 韓国の霊光(ヨングァン)原発現地から招いたパク・ジェワン神父は、「私だけで反核運動をやってきたのではない」と、六名の信者を伴って来日。「私の反核運動は知識ではなく、『聖霊』でやっている。宗教者はどこに立つか(民衆の側に立っているか)問わなければならない」と。

 二日日は広大な核燃サイクルの現場に立ち、各自が国策を肌身に捉えた。その後鎌田慧氏が「六ヶ所村の五十年」で講演。かつては満州に武装農民として入植(侵略への加担)、戦後は二度目の入植地を「開発」に追われた村民の歴史は、国策の本質を表す。国策に宗教者はどう対抗できるのか。鎌田氏は「個々が個人として立って責任を持っていくこと」と指摘した。

 三日日は村内行進デモと交渉。集会宣言文は、国策=核燃サイクルを犯罪行為と非難すると共に、「私たち宗教者は戦争時の加害者としての責任を深く問うことをせず、戦後はむしろ被害者としての意識や行動に甘んじてこなかったか」と自問。そして、核燃サイクルによって六ヶ所村がアジア諸国に対して加害者になることを強いられることを踏まえ、「加害者としての過ちを自覚して、アジア諸国に真摯に謝罪し、責任を取らなければならない」と誓った。

 

第3回 「六ヶ所」全国集会/宣言文

「六ヶ所」全国集会宣言文

                                                                                         原子力行政を問い直す宗教者の会

 1995年7月3日~5日、私たちは全国から、また韓国とフィリピンの代表者の参加を得て集まり、六ケ所村の大地に立ち、祈り、また現地で苦悩する人々と交流し、宗教者として「国策=核燃サイクル」の意味を問うた。私たちは将来を憂慮し、以下宣言する。

 (1) 「核燃サイクル」は、責任を回避して、地元の人々を圧殺する、国家の犯罪行為である。

  国は、六ケ所村住民から「開発」の名のもとに農地・漁場を奪った。その後にやってきた「開発」ならぬ「核燃サイクル」施設は、企業・行政の癒着体制の中で、住民の不安を逆撫でしながら強行して進められている。人々は傷つき分断され、心身共に荒廃に荒廃を重ねさせられてきた。

(2)核廃棄物搬入は未来のいのちを奪う。

国は、その処分方法が確立されていないにもかかわらず、「一時貯蔵」の名のもとに高レベル放射性廃棄物を六ケ所村に押し付けている。これは、将来世代に一方的に負担を強いることである。数万年単位での安全管理に誰が責任を取ることができよう。この国の原子力行政の無策・無責任ぶりが、この地に集約されている。いのちと共存できない廃棄物を生成・蓄積させる行為は、国家犯罪そのものである。

 (3)安全対策を無視して強行する「核燃サイクル」行政は、欺瞞であり傲慢な行為である。

 1994年末の三陸はるか沖地震で原燃敷地内に亀裂がはいった。早くから指摘されていたように、この地は活断層が通り、最も危険な地盤である。行政はこれを無視して強引に施設建設を進めている。阪神・淡路大震災を経験した今、このような態度がいかなる惨状を招来するかは明らかである。特に、東北・北海道では規模の大きい地震が連発しているにもかかわらず、大地震による事故を想定した対策はとられていない。

 (4)「戦後50年」「ヒバク50年」の今日、この国はなお、戦争責任を清算しないまま核武装化の脅威を近隣諸国に与えている。

 戦後「平和国家」として再生したはずのこの国は、今や有数の「軍事国家」となっている。最近の核をめぐるこの国の動き(再処理工場建設・「もんじゅ」の稼動・核の海上輸送・原発の輸出計画等)は、世界が注視しその展開を懸念している。このような核政策は近隣諸国を刺激し、東アジアは既に核の一大集中地域となってしまった。六ケ所村の状況は、まさにこれらの問題を集約している。

 (5)私たちは、教団や宗教者がかつての「国策」=侵略戦争に対して加担してきた事実を見つめ反省、懺悔すると共に、今日の「国策」=核燃サイクルに対しても同じ轍を踏むことのないよう、六ケ所村の地に於て誓いたい。

 私たち宗教者は戦争時の加害者としての責任を深く問うことをせず、戦後はむしろ被害者としての意識や行動に甘んじてこなかったか。これらを踏まえて今日を省みる時、私たちはまず何よりも加害者としての過ちを自覚して、アジア諸国に真摯に謝罪し、責任を取らなければならない。  また、「核燃サイクル」が国策として進められている六ケ所村に対しては、都市部のみならず原発現地までが加害者となり、アジア諸国に対しては六ケ所村そのものも加害者になることを強いられようとしている。

 私たちは、今こそこの地で祈り懺悔する中で、切り捨てられ、踏みつけられ、分断されているすべての人々の痛みと願いを共有し、連帯していこう。

                                                                    1995年7月5日

                                                                                            六ケ所村の大地にて

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