会の歴史と集会の記録

第2回 「東京」全国集会(94,7,4)

 「東京」全国集会へのよびかけ

「原子力行政を問い直す宗教者の会」第2回集会
テーマ 今こそ自らを問い直す
      「都市住民」が「被曝」を強要し「アジア」を踏み付ける
 今ほど私たち自らが厳しく、深く、広く、問い直されているときはありません。

 ヒロシマ・ナガサキの被爆から49年。その間の被爆者たちの痛苦と悲願を、私たち はどれほど共有してきたでしょうか。「平和利用」と称して相次ぐ原発の建設や運 転、事故続発の陰で、差別と犠牲を強いられ、不安に脅かされている現地住民や被爆 労働者の叫びに、私たちはどれほど耳を傾けてきたでしょうか。今や原発輸出やプル トニウムの保有・利用へ踏み出そうとしている日本に対して、アジアの諸国民の中に まき起こっている厳しい世論を、私たちはどれほど認識しているでしょうか。

 原発の「必要神話」を受け入れて、「豊かさ」を謳歌する大消費者たる「都市住民」(「都市化」を急ぐ過疎地の住民を含む)が、「被曝」を強要し「アジア」を踏 み付ける構造を、わたしたち自身が取り組むべき課題として深く認識し問い直しつつ、訴えていかなければなりません。そこに、今回あえて原子力行政の中枢、東京に おいて集会を開催する意義を見いだすものであります。

 既に事実は先行しております。国の原子力行政は、原発現地住民や被曝労働者を打ち棄てるのみならず、アジア住民にも牙を向けはじめました。これは歴史への問い直しをも意味します。近代日本が「文明開化」をうたい「脱亞入欧」といってアジアを 侵略しつつ、「富国強兵」の軍国化の道を歩んだ結果が、ヒロシマ・ナガサキへの原 爆投下でした。戦後、平和憲法のもとでスタートしたはずの日本が、愚かにも今また 同じ轍を踏もうとしています。今日の軍事大国日本がPKO・プルトニウム政策を強行し、核武装というアジア近隣諸国の悪夢を現実化させつつあります。

 今この時、私たち宗教者は、それぞれの宗教的信念に基づいて、すべての「いのち」を大切にする思いで結ばれました。今日の危機の発生地東京で共に交わり、話し合い、祈って、歴史を問い自らも問い直して、熱い思いと行動を共有していきましょ う。

「原子力行政を問い直す宗教者の会」
集会代表
東海林 勤 (東京都・日本キリスト教団)
梅森 寛誠 (宮城県・日蓮宗)

掲載新聞記事(仏教タイムス)’93.8.15

宗教者と“原発
レポート 「原子力行政を問い直す宗教者の会」

“使い捨て”の労働者
経済至上主義転換を



 七月六、七日に福井県敦賀市で開かれた「原子力行政を問い直す宗教者の会」結成集会のレボ一ト最終回は、原発労働者の実態を中心に報告する

 原子力発電所で事故が起こると、「環境に重大な影響を与えるレベルではなかった」という担当者のコメントが出され、マスメディアでも地元以外ではいわゆるベタ記事扱いが普通。そして、原発立地地域の住民以外はそんな事故があったことすら翌日には忘れてしまう。都会に住む人間にとって自分の家にくる電気が原子力で作られようが水力・火力発電によるものだろうが、あまり関孫のないこと。“人口の少ない”過疎地のことや、ましてや「その現場で働いている人間がいるということに思いをめぐらす人がはたして何人いるだろう。

 5万人が従事
「皆さんは原発の中はさぞ明るいところだと思っているかも知れませんが、実際の原発の作業現場はとても暗い所です」。七月六日、福井県敦賀市で開かれた「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成集会に招かれた斉藤征二氏はこう語り、「使い捨て」にされる労働者の実態を報告した。斉藤氏は、1964年(昭和39)から15年間、関西電力美浜原発で下請けの配管工として働いてきた。解雇をきっかけとして組合を結成、原発労働者支援の活動を続けている。

 原発の広報用パンフレットには、明るい管理された部屋でコンピユーターの画面を見つめる技術者の写真などが掲載されている。ところが、そうした管理的な部署で働く技術者以外にも原発は「人海戦術」といってもよいほど多くの労働者を必要とする施設であることはあまり知られていない。除せん、応急処置、養成などの作業。その仕事に従事するのはほとんどが一次下請け業者からさらに六、七段階の下請けを通して集められた労働者である。その数は、年間5万人以上という。

 犠牲の上に…
 すべてがコンピューターで制御され安全な原発、というイメージとは程遠い実態について斉藤氏は報告した。頭からすっぽりマスクを被り、放射線防護服を着込んで危険な現場で人力でなければできない細かい作業に従事するのだが、狭い場所で、しかも全身を覆われているため動きにくく暑さも堪えがたいものだという。「暑いからマスクをとってしまったり」、トイレに行きたくても「現場から遠いためこっそり現場の暗がりで用を足すこともザラ」という。もちろん、高レベルの放射線を被曝することになるのだが…。

 防護服を着用していても一日の労働時間が最短で二分間ということもあるという。それだけ高い放射能にさらされる現場なのだ。こうした作業が健康被害をもたらさないわけはない。肝臓癌、胃癌、白血病などが多発する。物理的にも「一人の労働者が一つの仕事を完了させることは不可能」なこともわかる。電力会社の職員が立ち合わないため、作業内容がトップから末端まで正確に伝わらない。「人為的ミスは起こって当たり前」と、大事故につながりかねない危険性も指摘した。

 斉藤氏の言葉は、集会に参加した宗教者たちに重い衝撃となって伝わった。「被曝を前提とした労働とは、他人の犠牲の上に築かれる繁栄とはなにか、ということをあらためて考えさせられた」「原発は差別の上になりたっているということを再確認した」という参加者の声も聞かれた。

 今月十九日付の読売新聞には「原発で環境と成長の両立を」との社説が掲載されていた。現政権の中で社会党だけが原発増設に慎重なことへの批判が主旨のようだが、そこには原発で働く労働者の問題も立地地域の住民の不安も事故のリスクへの言及もなかった。これらに目をつぶり、経済成長を至上とする価値観が続くかぎり、あらたな被曝者は増え続けるだろう。宗教者としてこの価値観を転換させる道が求められている。(おわり)

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