「国策=核燃サイクル」を問う ―今、宗教者として―
編集・発行 原子力行政を問い直す宗教者の会
1996年6月10日
販売価格 1000円
目 次
巻頭言
1 第3回 「六ヶ所」全国集会の記録 | |
開会挨拶 | 坂井 留吉 |
祈り | 大和 永乗 |
趣旨説明 | 梅森 寛誠 |
発題1 | 長田 浩昭 |
発題2 | 千葉 仁子 |
発題3 | 岩田 雅一 |
発題4 | 朴 在完 |
講演「六ケ所の50年 | 鎌田 慧 |
報告 六ケ所の現状 | 菊川 慶子 |
現地の人々との交流会 | |
2 寺下力三郎 元村長インタビュー | |
国家に対峙した人・寺下力三郎 | |
「国策」と宗教ー六ケ所集会を受けてー | |
キリスト教の問題 | 東海林 勤 |
大本の平和運動とその課題 | 森田 善久 |
一仏教徒として | 梅森 寛誠 |
4 資料 |
あとがき巻 頭 言 集会代表 岩田 雅一
国家とは、いったい何か。
「それは軍隊と監獄に典型的に顕現する一つの力であって、それを具体的に考察することなしには、いかなる国家論も空文と化す」,71高橋和巳。
「国家とは暴力支配であり、非キリストである」
三里塚・芝山連合新東京国際空港反対同盟委員長 戸村一作
これら国家と「向き合う」思索、闘争を経験した者にして、はじめて、このような「本質把握」をなしうるのであろう。
今年、三里塚闘争30周年ということで、私は求められて以下の連帯メッセージを送った。
「私が『三里塚』に見てきたのは、日本という国家が、国益や公共の福祉の名のもとに、民主主義の否定というか、およそ民主国家に値しないこの国の現状を作ってきたということでした。つまり、『国家が絶対』という過った思想の実践を三里塚で大々的に展開し、農民から土地を暴力的に収奪し、抵抗するものを権力で排除・弾圧し且つ断罪したという事実。すでに論理破綻をきたしている事を、ただただ国家の威信のためにしてきた強権的国家の姿、それゆえに国家の破産というほかない事態でした。『国家犯罪の典型的な事例』である新国際空港建設に対し、30年間果敢に闘ってこられたことに敬意を表します。しかしまた、すべて『基地』と名のつく場におけるこの国の現状は、どこも同じです。どうか志を高く掲げ、闘いを持続してくださいますように」
《六ヶ所核燃料サイクル施設》は、国のエネルギー政策の根幹的事業、基本政策として重要な位置を持つ。それは施設というよりは、本質からして「基地」であり、国の政治・経済戦略上重要な拠点であって、「六ヶ所」は「成田」や「沖縄」と連動している。プルトニウムの段階で、原発問題はすでに「エネルギー問題」の域を超え、軍事と一体化した「日本の大国化・核武装化」の方向を明確に取るものと見うる。
1995年7月、「原子力行政を問い直す宗教者の会」は、このような「六ヶ所村」で、第三回全国集会を開催した。「戦後50年」という年、「六ヶ所村」で開催したことは、はかりしれなく大きい意義をもったと思う。かつて富国強兵、大陸への侵略戦争に発展した日本の近代化、そして戦後、侵略として地方を襲撃した巨大開発。それら国策に翻弄され犠牲とされ、現在は「膨大な核のゴミ投棄」、世界に突出する高レベル・再処理など、矛盾と危険の一大集積化が日々進行する六ヶ所村…。
私たちは、「“今、宗教者として”現地住民の止むに止まれぬ訴えに呼応し、歴史に肉薄し、共々に重い課題を担っていくためのはじまりとしたい」と願って集会を持った。結果として、私たちが願いまた志したことに遠く及ばなかったかもしれない。しかし、《「核燃サイクル」は、責任を回避して、地元の人々を圧殺する、国家の犯罪行為である。≫と宣言文に明確に述べることができた。
集会代表として、私は今、「一つの責めを果たした」心境である。