「六ヶ所」全国集会宣言文

                                                                                         原子力行政を問い直す宗教者の会

 1995年7月3日~5日、私たちは全国から、また韓国とフィリピンの代表者の参加を得て集まり、六ケ所村の大地に立ち、祈り、また現地で苦悩する人々と交流し、宗教者として「国策=核燃サイクル」の意味を問うた。私たちは将来を憂慮し、以下宣言する。

 (1) 「核燃サイクル」は、責任を回避して、地元の人々を圧殺する、国家の犯罪行為である。

  国は、六ケ所村住民から「開発」の名のもとに農地・漁場を奪った。その後にやってきた「開発」ならぬ「核燃サイクル」施設は、企業・行政の癒着体制の中で、住民の不安を逆撫でしながら強行して進められている。人々は傷つき分断され、心身共に荒廃に荒廃を重ねさせられてきた。

(2)核廃棄物搬入は未来のいのちを奪う。

国は、その処分方法が確立されていないにもかかわらず、「一時貯蔵」の名のもとに高レベル放射性廃棄物を六ケ所村に押し付けている。これは、将来世代に一方的に負担を強いることである。数万年単位での安全管理に誰が責任を取ることができよう。この国の原子力行政の無策・無責任ぶりが、この地に集約されている。いのちと共存できない廃棄物を生成・蓄積させる行為は、国家犯罪そのものである。

 (3)安全対策を無視して強行する「核燃サイクル」行政は、欺瞞であり傲慢な行為である。

 1994年末の三陸はるか沖地震で原燃敷地内に亀裂がはいった。早くから指摘されていたように、この地は活断層が通り、最も危険な地盤である。行政はこれを無視して強引に施設建設を進めている。阪神・淡路大震災を経験した今、このような態度がいかなる惨状を招来するかは明らかである。特に、東北・北海道では規模の大きい地震が連発しているにもかかわらず、大地震による事故を想定した対策はとられていない。

 (4)「戦後50年」「ヒバク50年」の今日、この国はなお、戦争責任を清算しないまま核武装化の脅威を近隣諸国に与えている。

 戦後「平和国家」として再生したはずのこの国は、今や有数の「軍事国家」となっている。最近の核をめぐるこの国の動き(再処理工場建設・「もんじゅ」の稼動・核の海上輸送・原発の輸出計画等)は、世界が注視しその展開を懸念している。このような核政策は近隣諸国を刺激し、東アジアは既に核の一大集中地域となってしまった。六ケ所村の状況は、まさにこれらの問題を集約している。

 (5)私たちは、教団や宗教者がかつての「国策」=侵略戦争に対して加担してきた事実を見つめ反省、懺悔すると共に、今日の「国策」=核燃サイクルに対しても同じ轍を踏むことのないよう、六ケ所村の地に於て誓いたい。

 私たち宗教者は戦争時の加害者としての責任を深く問うことをせず、戦後はむしろ被害者としての意識や行動に甘んじてこなかったか。これらを踏まえて今日を省みる時、私たちはまず何よりも加害者としての過ちを自覚して、アジア諸国に真摯に謝罪し、責任を取らなければならない。  また、「核燃サイクル」が国策として進められている六ケ所村に対しては、都市部のみならず原発現地までが加害者となり、アジア諸国に対しては六ケ所村そのものも加害者になることを強いられようとしている。

 私たちは、今こそこの地で祈り懺悔する中で、切り捨てられ、踏みつけられ、分断されているすべての人々の痛みと願いを共有し、連帯していこう。

                                                                    1995年7月5日

                                                                                            六ケ所村の大地にて