▼集会宣言文

宣 言 文
原子力行政を問い直す宗教者の会
 
 全国各地で、それぞれ宗教・信仰をもって活動する私たち。今まさに各自の宗教・信仰が、その真価を発揮すべき時が来た。

 今私たちは、人が人であることを忘れ、また恥じなければならない苦悩の時を迎えようとしている。核の被害、その非人間的暴力性を最も早く知ったはずのこの国が、「平和利用」と称して 核・プルトニウムからの撤退著しい世界の潮流に逆行して 「牽引者」になろうとしている。経済力と技術力への過信と奢りに充ちたこの国の核武装を、世界各国が懸念し警戒しはじめた。

 国は「地獄の大王」・プルトニウムの集中する 高速増殖炉「もんじゅ」の若狭、核然サイクルの青森・六ヶ所に対して、いよいよ棄民政策の強行をはかっている。

 国は、地域文化の破壊と分断 欲望の扇動と構造的差別の増長を企てつつ原発立地建設をこれまで強行に進め、また進めようとしている。

 国は、過酷事故を軽視して現地住民の不安を一蹴し、被曝労働に目をつぶり、その救済態勢には全く手をつけない。

 国は、放射性廃棄物を青森・六ヶ所に集中させることによって、矛盾の矛先をかわし、そのツケを将来世代に一方的に押し付ける破廉恥な政策を強行している。

 その間 国民が一時的な「豊かさ」「快適さ」という物質偏重生活を扇動され、やがて精神の荒廃 宗教的良心の否定へと導かれエゴと欲望と無知の故に、結果として強者の加害者側に立たされてきた重い現実を私たちは痛みをもって認識しなければならない。

 ああ、宗教者・信仰者が国の原子力行政に対して諌言し警告を発しなければならない事の重大かつ深刻さよ。

 原子力の本質的にもつ、強者が弱者を権力とカネで支配する構造は、都市住民の過疎住民に対しての、「北」の「南」に対しての、人間の人間以外の「種」に対しての、現代世代の将来世代に対しての、それぞれの差別性・暴力性だ。

 原発現地住民の、被曝労働者の、地球上のあらゆる動植物の、そしてこれから来たるべき一切の子孫の生命の、怨嗟のうめき声が聞こえないか。

 そもそも、私たち宗教者・信仰者はこれまで何をしてきたか。崇高な教えで安心や救いを説くものの、それらが専ら自らの内面や死後の平安、狭い「ご利益信仰」のみに向けられつつ、現実逃避をしていなかったか。かっての侵略戦争を宗教者・信仰者が防ぎえなかったばかりか、教団によっては積極的に荷担してきた犯罪的背教的歴史を至心に懺悔するとともに、私たちは今まさに自他の一切のいのちが破滅の渕にあるこの現実を直視し、その根本的具体的解決のために祈り行動しよう。それこそが、現代に生きる私たちがそれぞれの宗教・信仰の存在価値を表明し、自らをも深め回復していく道だ。

 私たちは1992年10月、原発や電力行政一般を司る通産省;資源エネルギー庁と核燃やプルトニウム行政を所轄する科学技術庁と「対話」を行ない、国の原子力行政を根本的に問い直し、その過ちをただし改めさせる闘いの第一歩を、ようやく踏みしるした。私たちを日々苦悩させる原子力犯罪の総もとじめが「国の行政」であることに照準を定め、今後訴え続けていこう。

 ただ願うところは、今日のこの未曾有の危機が、私たちのたゆみない愛と慈悲の熱誠と実践によって克服され、互いに敬い礼拝し合う社会が到来することだ。私たちは、これまで 地域や教派宗派の垣根で分断されてきた。今これを乗り越え破り、同一の課題のために協力団結しつつ行動を起こそう。

 愛する者たちのために。子供・孫 これから来たる者たちのために。故郷を 地球の生きとし生けるものを「地獄」から救いたいが故に。踏みにじられつつあるいのちの尊厳と真理を守りたいが故に。

 私たちに 大いなる信と力と勇気を。

 
  1993年7月6日  
     

 

当会の結成集会で作られた宣言文です。その集会代表を務められた堀部知守(真宗大谷派)さん、世話人として支えて下さった阿蘇敏文(日本キリスト教団)さん・鶴谷

忠男(日本キリスト教団)さん…。そして、市民科学者としてご指導下さった藤田祐幸さん…。名前は掲げませんが、亡き先師・同志、原爆の被害者、被曝労働者、フクシマ原発震災という人災に苦しむ人々…………と共に、今、新たな歩みを始めます 2019年追記